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福祉的な関わりのある人から、堀内へのメッセージ

おじいさんは呆けが進み、家を抜け出しては外を歩き回っていました。

 

そんな時に、哲学カフェを主催していた堀内さんへ相談したところ、

その行動を止めさせるのではなく、またそれが誰かのためになるようにと、

散歩車に子どもを乗せて「散歩をする(子守り)」という役割を作ってくれました

(学校の先生だったこと・世話焼きという性格も考慮してくれたそうです)。

また子どもには、乗った状態からトングを使って「ゴミを拾う」という役割を作り、

地域の人たちに褒められるという機会を作ってあげていました。

もちろん、危険がないとは言い切れないので、こっそりと後を付けていましたが。

 

側から見れば、ただの子ども好きなおじいさんに見えたと思います。

呆けとは知らずに、道行く人から「幸せですね」と話かけてもらうこともありました。

おじいさんもそれに対して、「今が一番幸せです」と嬉しそうに返していました。
 

その光景を見た時に、初めて「呆けてもいいんだ」と思わされました。

 

そう思わせてくれた堀内さんが、お年寄りを中心にした、

みんなの集い場・居場所作りを始めると聞きました。

 

老い先短い人生ですが、私も出来る限りのことはします。

素直で誠実な堀内さんです。どうか力を貸してあげてください。

(70代 中込多恵子 女性)

主人はアルツハイマー病で、日増しにできることが少なくなっていきました。

 

ただできるだけ身体の機能は維持して欲しいという思いから、

初めはリハビリ器具のあるデイサービスを利用させて頂きました。

ところが、今まで器具を使うことがなかったためか、全くやらないのです。

 

困っていたところ、堀内さんに話をさせてもらいました。

一通り話を聞いてもらったところ、堀内さんは「うどん作りをしてみては?」

「全部はできなくてもいいから、部分的ならできるのでは?」と教えてくれました。

 

主人は香川県の出身ということもあり、昔からうどんが大好きでした。

また料理作りが好きでしたし、うどんを作っている様子も見たことがありました。

生地を切ることは難しかったとしても、火を使うことは難しかったとしても、

分量通りに材料を袋に入れること、生地を足で踏むことはできそうだったのです。

 

堀内さんも自宅に来てくれて、実際にやってみました。

すると、好きなことであったこともあり、自然と身体が動くのです。

ランニングマシーンや散歩はすぐにやめてしまいましたが、

生地にコシを出したいという思いからか、一生懸命に生地を踏み続けるのです。

万歩計の歩数を見ても、普通に歩くよりも遥かに良い運動になっています。

今ではピザやパン作りなどに応用するだけでなく、

昔からの付き合いのある人たちを家に呼んで一緒に作った料理を振舞っています。

 

素人はリハビリ=筋トレ。リハビリ=機械。と考えてしまいがちです。

ところが、リハビリといっても、機械を使ったものや散歩だけではないようです。

 

「大事にしてきたもの活かし、動機を作らないと人は動かないよ」

「全部できる必要はないよ。できないことは誰かに任せればいいよ」

 

と言う、堀内さんの言葉の意味が初めはよく分からなかったのですが、

今となってはその意味がよく分かります。目で見たのでよく分かります。

 

主人もできることがさらに減ってきてはおります。

ただできるだけ長くこの生活を続けていきたいと思います。

またお話を聞いてくださいね。ますますのご活躍を楽しみにしております。

(年齢不詳 ドッグカフェ経営 女性)

私たちの娘には知的障害があり、本人は学生時代それを理由に悲しい目にあいました。

それをきっかけにうつ病も発症し、家では話もしないし、表情もほとんどない。

 

そんな娘ではありましたが、堀内さんは

「人との関係、特に異性との関わりを増やせば変わる」と言い、

ケーキ作りやノンアルコールビールパーティなどの企画を通じて、

様々な人との関係性を繋いでくれました。

 

すると、徐々にではありましたが本当に変わっていったのです。

 

見せてもらった動画では、様々な異性からデートに誘われており、

それに対して満面の笑みで「はーい」と返答しているのです。

また信じられないことに、家では話をしないあの娘が

「最近モテるの」「ルンルンルン」と言い出しました。

 

周りの人が諦めていたとしても、人は変わるのかもしれません。

写真は恥ずかしいので載せることができませんが、奇跡のような一枚もあります。

堀内さんをはじめ、皆さんなら素敵な場所を作れると信じています。  

(60代 Hの母より 女性)

私たちの娘には知的障害があり、本人は学生時代それを理由に悲しい目にあいました。

それをきっかけにうつ病も発症し、家では話もしないし、表情もほとんどない。

 

そんな娘ではありましたが、堀内さんは

「人との関係、特に異性との関わりを増やせば変わる」と言い、

ケーキ作りやノンアルコールビールパーティなどの企画を通じて、

様々な人との関係性を繋いでくれました。

 

すると、徐々にではありましたが本当に変わっていったのです。

 

見せてもらった動画では、様々な異性からデートに誘われており、

それに対して満面の笑みで「はーい」と返答しているのです。

また信じられないことに、家では話をしないあの娘が

「最近モテるの」「ルンルンルン」と言い出しました。

 

周りの人が諦めていたとしても、人は変わるのかもしれません。

写真は恥ずかしいので載せることができませんが、奇跡のような一枚もあります。

堀内さんをはじめ、皆さんなら素敵な場所を作れると信じています。  

(60代 Hの母より 女性)

中込さん、わんちゃん、Hさんのお母さん メッセージありがとうございます。

 

「自分が必要とされている」「自分のことを好きな人がいる」「誰かの為になる」。

 

その人のこれまでの生き方や人との関わり方、趣味なども

考慮しないといけませんが、人は関係性のなかに生きているので、

先の三つのことを意識的に作り出すことができれば、

生きづらさを抱える人であったとしても少しは変わることができると思います。

 

「問題のある人」と言われている人が、「愛される人」に変わる瞬間を作りたい。

「障がいがあってもいいよ」「ぼけてもいいよ」と思える人が少しでも増えれば良い。

そんなことをむそうしながら、一生懸命に頑張っていきたいと思います。 堀内

寄付者の方からのメッセージ

母の介護を10年間してきました。その内、5年間は在宅介護でした。

デイを利用していましたが、次第に認知症が酷くなり、利用を断られました。

感謝の思いがあるので自宅で見ることも考えましたが、

体力的なこと、気持ちのこともあり、結果的に施設に入所してもらいました。

気持ちに余裕がなくなってしまった際は、酷い言葉をかけてしまったこともあります。

あの時にもし、あなたのところがあれば、と本当に思います。

「ずっと家がいい」と話していた母の顔が今でも忘れられません。

だからこそ、できることがあれば協力させてもらいたいと思います。頑張りましょう。

(60代 Oさん 女性)

働きながら両親の介護をしています。

自分が事業を初めたこともあり、両親はデイサービスを利用し始めました。

ただ家族ともども働いていることもあり、どうしても介護に時間を割けず、

デイサービスの方に「少し長く預かって欲しい」「朝早く迎えに来て欲しい」

「困ったときには泊まらせて欲しい」とお願いしたことがあります。

しかしながら、「私たちにはそこまでできない」と呆気なく断られてしまいました。

特別養護老人ホームの空きはなく、現在は仕方なく有料老人ホームに入所させました。

両親は「家に帰りたい」といつも言います。施設は増えましたが、

本当に親身になって動いてくれる地域の施設は少ないのが実情だと思います。

愛知の地にみつばやさんがあれば、利用させてもらいたかったです。

志のある若者を応援することが年配者の努めだと思うので寄付させてもらいます。

(60代 Nさん 男性)

Oさん、Nさん、ご寄付ありがとうございます。

 

「縁のある人と住みたい場所で暮らしたい」

「余裕をもって親の介護がしたい」

「働きながら親の介護がしたい」

 

いずれの願いに関しても、決して特別な願いではないと思います。

 

そもそも私が福祉の道に進んだ背景の一つには、

2006年にあった京都の介護殺人事件が挙げられます。

 

働きながら介護ができない。頑張りが足りないという理由で生活保護も受給できない。

飽食の時代に餓死寸前までいく。最終的には、大好きな母をこの手で殺めてしまう…。

 

事件当時、私は高校生でした。ただ高校生ながらも、

「大切な人を自分の手で殺めてしまう社会に生きているのか」

「福祉って何のためにあるんだろう」と思わされました。

 

社会制度で救われた人はたくさんいる。

一方で、網目から溢れてしまった人たちもいる。

 

社会制度に乗るまでの間にできることってなんだろう。

社会制度の隙間を埋めるためにできることってなんだろう。

 

この手でできることは限られているけれど、

少なくとも人を殺めるためにあるのではない。

むしろ、大事な人や誰かを守るために使っていきたい。そう生きたい。

 

「馬鹿な奴だ」「お前に、お前たちに何ができる」

そう言われることもありますし、そう思われても構いません。

 

ただ、それでも思いに共鳴してくださる方がいることも事実です。

 

「希望なき人のために、希望は私たちに与えられている」(ベンヤミン)

 

私も希望なき人の一人です。一人では何もできません。

それでも、この実践で希望を抱いてくださる方がいます。

 

共に希望を与え、希望を抱きあえる仲間に出会えると嬉しいです。堀内

 

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